不在を受け入れられる自分に少し寂しさを覚えるという話
めっきり寒いですね〜。
これより寒いと思われる札幌に行くので、さすがの汗かきである私もちょっとビビってます。
ついにスーツのジャケットを着るときがきましたか......
赤羽に来たら飲みましょうと言っていたんですが、札幌に行くことに相成りましたので、札幌にきたらお会いしましょう。
さて、今回はタイトルどおりの話でそれ以上もそれ以下もないんですが。
時として、何らかの不在を不在のまま受け入れることが出来る自分がいることに気づいて、それに少し寂しさなどを覚えることってあるなと思って。
......ありますよね?あると思います。
例えば、地方に行って、今まで仲良くしてた友人の誰とも会わなくても、もしかしたら寂しいとも思わない自分がいるかもしれない。
そんでそんな自分に気づいたとき、「あー、俺大丈夫なんだなぁ」って少し寂しさを覚えることがある気がします。
例えば、これがないと生きていけない、これは自分の人生にとって欠かせないものだと思っていても、いざそれが無くなったら無くなったで、普通に生きていける自分がいるかもしれない。
そんでそんな自分に気づいたとき、「あー、俺別に生きていけるんだなぁ」ってちょっと寂しさを覚えることがある気がします。
それが悪いっていうわけじゃないんですけど、なんかそんなことあるな〜って思って。
何の寂しさなんでしょうね。
己のある種の薄情さを認識したことに対してなのだろうか......
んー、でも、そんな自分も自分ですからね。
無理して不在を埋めようとすることはないですよね。
埋めたくなったら埋めればいいしね。
それにそれまでの友人との時間とか、何かに打ち込んでた時間までが無駄になるわけじゃないですからね。
はい。
生活は続くわけですね。
今日に明日を混ぜる。
今週末は札幌に内見に行ってきます。
意外と結構楽しみ。