これまでのエモの話

この前生きてたら「エモカワ」っていうワードを見かけたんすよ。

 

「エモカワ」ってよ〜〜。

エモいってのは分かる。

エモい+カワイイってのも分かる。

でもよ〜〜。

何でカワイイにエモいがつくんだ?

エモくてカワイイってなんだ?

エモいとカワイイは同時に使えるのか?

なんか違和感あるよね?

 

っていう風になったわけです。

 

わりと最近、いや3年ぐらい前からはエモという言葉の用法に寛容になってるんですけど、ちょっと「エモカワ」には納得できない自分がいました。

まだいたね、こんな自分が。ハッピーバースデー。

 

というわけで、何で納得できないのか、ここら辺で改めてエモの起源に遡って考えてみようと思いたち、筆をとった次第です。

(以下、異なる説や間違ってるところもあるかもしれません、悪しからず)

 

 

 

そもそもエモという言葉、原語ではEmo(原語に近い発音はエモではなくイーモゥです。イーモゥと発音して周りに差をつけましょう)、は本来音楽の1ジャンルを指すものです。

 

エモと呼ばれた音楽ジャンルは当初、エモーショナル・ハードコアとも言われていました。

それは、エモがパンクやハードコアを起源とするからだと考えられます。

 

商業主義化しメッセージ性を失ったロックや技巧的な演奏に走るハードロックに反発する形でパンクが生まれました。それゆえ、パンクは社会に対する不満や怒りを表現するものであり、シンプルな演奏が多いです。

そして、その表現の過激さが増していったのがハードコア・パンクです(すごい簡単にいうと演奏が激しくなった)。

そして、ハードコア・パンクからさらに音楽性がより複雑になった(演奏に色々幅が出た、変拍子とか使ったり、楽器増えたり)ハードコアが生まれました。

ハードコアは自身の思想や信念を強硬的に外部に表現するという特徴があります。

 

 

これらから派生してエモが誕生しました(このあとエモは多様化していき、商業化の流れも経てその定義も希薄化していきますが、それはまた別の話)。

パンクやハードコアと比べて、エモはより自身の経験に基づく表現を優先するものであると言えます。

すなわち、エモはしばしば内省的なものであるというわけですね。

 

あと、EmoはEmotionalからきていると考えられますが、Emotionalが「感情の、感情的な」みたいな意味だけじゃなくて、感情的になりやすい男性、悪くいうとめめしい、ナヨナヨした男性を非難するっていう意味で使われてたみたいなこともあるようです。だから単にエモを避けて、エモコアっていう風に呼んでたっていうこともあったようです。

 

 

まぁつまりエモは本来内省的なものなんですよね。

めちゃくちゃ簡単にいうと、陰か陽かでいったら陰です。

 

「皆聞いて!俺は悲しいぞ!なぜならこういうことがあったんだ!」っていうんじゃなくて、「こういうことがあって、あー、なんかなぁ、いやー、そういうつもりじゃなかったんだけどなぁ」みたいな感じです。

 

「こういうことがあって俺は今こう考えてる。こうしなきゃいけないんだ」っていうんじゃなくて、「こういうことがあったけど、なんて言えばいいのか分かんないな、だけど、このままじゃダメなのかもなぁ」みたいな感じです。

 

多分。

 

だから、個人的には、エモいを使っててしっくりくる場面って、哀しい、寂しい、泣けるみたいな要素がある、陰の場面のときなんですよね。

 

出会いと別れだったら別れだし、大勢と1人だったら1人、昼と夜だったら夜みたいな。

夏と冬だったら……これは実は両方ともいけるんすよね。完璧に分けるのは難しい(エモあるある、夏だいたい良いことないがち)。

 

でもカワイイって明るい、陽の言葉じゃないですか。

 

だからエモカワって陰と陽の組み合わせなんで個人的には違和感を覚えるということですね。

サラダで白米食うみたいな。

 

というわけで納得できない理由が判明しました。

 

 

うーん……

 

でもあれかぁ……

 

エモいを何とも言葉にはし難いけど感情を突き動かされるみたいな意味で使ってたら陽の場面で使うこともあるのか……

よくよく考えたら俺もそうやって使ってるときもあるし……

いや、そもそも各々にそれぞれのエモがあるわけで、だとしたら誰しもその用法を否定することは出来ないよなぁ……

 

あー……

 

 

 

Was never meant

 

 

 

これが言いたかっただけみたいなとこある。

 

またエモについてはなんか書きます。