自分の物差しで勝手に他人をはかるなって話
なんかタイトル銀魂みたいになってますね、これ
結局銀魂って最後どうなったのかな
それはさておき
札幌紀行でも書こうかと画策してたんですよ、これでも、ただちょっと仕事が調子乗ってて、はい
元気でやってます
札幌は色々おいしい店があるのでゆるりと開拓してます
それはまた書きます
で、今日は、久々に、萎えるイベントがあったので思わず筆をとった次第なんです
結局創作の原動力は怒りなどの感情の発露の部分が大きいのかもしれませんね
あの〜、表面上だけ見て「あなたって〇〇な人だね」って勝手なレッテルはられるのってムカつくじゃないですか?
それでさらにこっちは意図があってやってることを捕まえたネガティブな評価されたら余計にムカつきますよね?
それがさらに別に普段あんまり一緒にいる人とかじゃなかったら加えてムカつくじゃないですか?
お前の物差しで俺をはかるなと、勝手に自分を分かったつもりになるなと思いますよね
ムカつきすぎて逆に萎えました
怒りを通り越したら悲しみになるらしいです、結構、巷の人も
ええ、まぁそんなことがあったんですわ......
さすがの私もバッド入りました、逆に
でも書いてたらちょっと落ち着いてきました、いや〜
思考を整理するには文字に書いて整理するといいって聞いたことありますよね
あとLOSTAGEきいてたら感情が馴染んできました
ツアー楽しみですね
来週のクラフトロックはちょっと行けないかもですが、行ける人は行ったほうがいいと思います、特に1日目、Tiny Moving Partsも来日するし
でも自分も勝手に相手を自分の物差しではかってしまったことがあったんだろうなと、今も勝手にはかった上でものを言ってしまってるかもしれんし
そう考えるとそれは反省だなと
まぁ、ただ
自分の反省と相手の失礼は別物ですけどね
いずれ主観的な感情を客観的な物差しではかるやつムカつくって話でも書きます
物差しシリーズ
皆さんの穏やかな生活を願います
良いものを食べてるとか俺が言い出したら殺せっていう話
ハロー、今、皆さんに素晴らしい世界が見えてます?
私はというと、業者がダンボール送ってくれなかったんで、赤羽での荷造りを搬入の前日に終え、何とか搬入し、その後蒲田で飲んだものの携帯を牛繁に忘れ、翌日取りにいき、その足でつくばに行き泊まった翌日、守谷でサークル同期の結婚式に出た後、羽田空港に向かったら、新千歳行きの飛行機が遅延していて、ようやく飛行機に乗り込んで、空飛んでるところです、いま。
労い、赦し、讃えろ、俺を。
いよいよ、札幌に、いきます。
また会いましょう。
まぁそれはそれとして。
あのー、人間ですね、
「俺最近良いもの、高級焼肉とか食べてんだよね」
とか言い出したら終わりなんですよ(個人の感想です)。
でも、
「最近行った高級焼肉めっちゃうまかった!」
とかなら良いんですよ。多分。
「俺最近良い車買ったんだよね」
はダメなんです。(個人の感想です)。
「最近買った高級車めっちゃいいわ!」
ならいけます。
いや、別に上の二つみたいなこと言ってもいいんですけど、仮に俺が言ってたら殺してください。
牛繁に連れてって目を覚まさせてくれ。
元気カルビを食わせてくれ。
上の違いわかりますか?
そう、主体がね、違うんですよ。
ダメな方はね、自分が主になってるんですよね。
高級焼肉と高級車が、自分を飾るものになってるじゃないですか?
「良いもの食ってる、持ってる俺すげえぜ」みたいなニュアンスを感じるんですよね(邪推が過ぎるかもしれません、そしたらごめん)。
良い方は、あくまでも焼肉と車に対してのどうだったっていう感想を言ってるんですよね。
あのー、やっぱりなんか、自分を必要以上に飾ろうとするのって多分良くない気がするんですよね。
後に引けなくなるというか。
説得力が無くなると思うんですよね、言葉に。
その飾りが、あんまり自分の力によるものじゃないと特に。
と、思ったんですけど、お金を稼いでいるのは自分の力なのでそれは自分の力によるといえるのではないか?という指摘も思いついてしまった......
んー、単純にあれですかねえ。
自慢と自負の違いというか。
自慢はあまりされると鬱陶しくなりがちだけど、自負は違うよねみたいなことですかね。
色々考えてたらちょっと分かんなくなってきました。
疲れてます。
ここらで切り上げます。
札幌行ったら、札幌グルメを紹介するコーナーを設けようかなと思っているので、乞うご期待。
じゃあまた!
不在を受け入れられる自分に少し寂しさを覚えるという話
めっきり寒いですね〜。
これより寒いと思われる札幌に行くので、さすがの汗かきである私もちょっとビビってます。
ついにスーツのジャケットを着るときがきましたか......
赤羽に来たら飲みましょうと言っていたんですが、札幌に行くことに相成りましたので、札幌にきたらお会いしましょう。
さて、今回はタイトルどおりの話でそれ以上もそれ以下もないんですが。
時として、何らかの不在を不在のまま受け入れることが出来る自分がいることに気づいて、それに少し寂しさなどを覚えることってあるなと思って。
......ありますよね?あると思います。
例えば、地方に行って、今まで仲良くしてた友人の誰とも会わなくても、もしかしたら寂しいとも思わない自分がいるかもしれない。
そんでそんな自分に気づいたとき、「あー、俺大丈夫なんだなぁ」って少し寂しさを覚えることがある気がします。
例えば、これがないと生きていけない、これは自分の人生にとって欠かせないものだと思っていても、いざそれが無くなったら無くなったで、普通に生きていける自分がいるかもしれない。
そんでそんな自分に気づいたとき、「あー、俺別に生きていけるんだなぁ」ってちょっと寂しさを覚えることがある気がします。
それが悪いっていうわけじゃないんですけど、なんかそんなことあるな〜って思って。
何の寂しさなんでしょうね。
己のある種の薄情さを認識したことに対してなのだろうか......
んー、でも、そんな自分も自分ですからね。
無理して不在を埋めようとすることはないですよね。
埋めたくなったら埋めればいいしね。
それにそれまでの友人との時間とか、何かに打ち込んでた時間までが無駄になるわけじゃないですからね。
はい。
生活は続くわけですね。
今日に明日を混ぜる。
今週末は札幌に内見に行ってきます。
意外と結構楽しみ。
これまでのエモの話
この前生きてたら「エモカワ」っていうワードを見かけたんすよ。
「エモカワ」ってよ〜〜。
エモいってのは分かる。
エモい+カワイイってのも分かる。
でもよ〜〜。
何でカワイイにエモいがつくんだ?
エモくてカワイイってなんだ?
エモいとカワイイは同時に使えるのか?
なんか違和感あるよね?
っていう風になったわけです。
わりと最近、いや3年ぐらい前からはエモという言葉の用法に寛容になってるんですけど、ちょっと「エモカワ」には納得できない自分がいました。
まだいたね、こんな自分が。ハッピーバースデー。
というわけで、何で納得できないのか、ここら辺で改めてエモの起源に遡って考えてみようと思いたち、筆をとった次第です。
(以下、異なる説や間違ってるところもあるかもしれません、悪しからず)
そもそもエモという言葉、原語ではEmo(原語に近い発音はエモではなくイーモゥです。イーモゥと発音して周りに差をつけましょう)、は本来音楽の1ジャンルを指すものです。
エモと呼ばれた音楽ジャンルは当初、エモーショナル・ハードコアとも言われていました。
それは、エモがパンクやハードコアを起源とするからだと考えられます。
商業主義化しメッセージ性を失ったロックや技巧的な演奏に走るハードロックに反発する形でパンクが生まれました。それゆえ、パンクは社会に対する不満や怒りを表現するものであり、シンプルな演奏が多いです。
そして、その表現の過激さが増していったのがハードコア・パンクです(すごい簡単にいうと演奏が激しくなった)。
そして、ハードコア・パンクからさらに音楽性がより複雑になった(演奏に色々幅が出た、変拍子とか使ったり、楽器増えたり)ハードコアが生まれました。
ハードコアは自身の思想や信念を強硬的に外部に表現するという特徴があります。
これらから派生してエモが誕生しました(このあとエモは多様化していき、商業化の流れも経てその定義も希薄化していきますが、それはまた別の話)。
パンクやハードコアと比べて、エモはより自身の経験に基づく表現を優先するものであると言えます。
すなわち、エモはしばしば内省的なものであるというわけですね。
あと、EmoはEmotionalからきていると考えられますが、Emotionalが「感情の、感情的な」みたいな意味だけじゃなくて、感情的になりやすい男性、悪くいうとめめしい、ナヨナヨした男性を非難するっていう意味で使われてたみたいなこともあるようです。だから単にエモを避けて、エモコアっていう風に呼んでたっていうこともあったようです。
まぁつまりエモは本来内省的なものなんですよね。
めちゃくちゃ簡単にいうと、陰か陽かでいったら陰です。
「皆聞いて!俺は悲しいぞ!なぜならこういうことがあったんだ!」っていうんじゃなくて、「こういうことがあって、あー、なんかなぁ、いやー、そういうつもりじゃなかったんだけどなぁ」みたいな感じです。
「こういうことがあって俺は今こう考えてる。こうしなきゃいけないんだ」っていうんじゃなくて、「こういうことがあったけど、なんて言えばいいのか分かんないな、だけど、このままじゃダメなのかもなぁ」みたいな感じです。
多分。
だから、個人的には、エモいを使っててしっくりくる場面って、哀しい、寂しい、泣けるみたいな要素がある、陰の場面のときなんですよね。
出会いと別れだったら別れだし、大勢と1人だったら1人、昼と夜だったら夜みたいな。
夏と冬だったら……これは実は両方ともいけるんすよね。完璧に分けるのは難しい(エモあるある、夏だいたい良いことないがち)。
でもカワイイって明るい、陽の言葉じゃないですか。
だからエモカワって陰と陽の組み合わせなんで個人的には違和感を覚えるということですね。
サラダで白米食うみたいな。
というわけで納得できない理由が判明しました。
うーん……
でもあれかぁ……
エモいを何とも言葉にはし難いけど感情を突き動かされるみたいな意味で使ってたら陽の場面で使うこともあるのか……
よくよく考えたら俺もそうやって使ってるときもあるし……
いや、そもそも各々にそれぞれのエモがあるわけで、だとしたら誰しもその用法を否定することは出来ないよなぁ……
あー……
Was never meant
これが言いたかっただけみたいなとこある。
またエモについてはなんか書きます。
殺気迸る朝9時の話
朝9時11分か16分の電車に乗って通勤してます。
通勤は30分ぐらいかかるので音楽聴くにはちょうどいい感じです。ブログも書けるね。
お前仕事の話しないとか言ったくせに早速してんじゃねえかよって思った人いそうですね。
分かる。また読んでくれてありがとうございます。
昨日の自分を超えていけ。超克するのは俺たち。
実際は己の生活の出来事が仕事という要素で埋まっていってることに気付きました。何となく悔しいような気がします。しょうがないけど。
俺たちの共通言語は仕事なのか?
いやいや。
我々には文化があります。
見た映画とか読んだ本とか聴いた音楽の話をしよう。
それはそれとして朝の電車、殺気ほとばしりがちじゃないですか?
なんか皆怖いです。余裕なし。
って思ったのでこれ書いてます。
めちゃくちゃお腹痛いとかならしょうがない。
電車を降りて職場に着く頃には優しい顔してるのかな〜、そうであって欲しいですよね。なんかね。
でも自分もいずれ余裕がなくなっていってしまうのでしょうか……
優しくありたい。
電車って何の意味もなく一本だけ逃したくなる瞬間ありますよね。
いい電車のエピソードあったら教えてください。
ナスと豚肉の話
ブログ再開しようと思ったら以前に書いた記事が消えてた。
いや自分で消したんだけど、いつ消したんだっけな〜、なんで消したんだっけな〜って感じだ。
今思うと別に消さなくても良かったかなとも思う。
生きてるとそういうことありますよね。
近況報告としては、弁護士になり、満を辞して社会に出ました。
まだ研修受けてる感じなので仕事楽しいも辛いもあんまないです。
仕事の話は個人的にはテンション上がらないので多分あんまりしません。
でも本格的に仕事始まったら話するかもしれません。
そういうことありますよね、アンヴィバレント。
それと赤羽に住んでます。
赤羽はいい飲食店、居酒屋いっぱいで楽しいです。
ジャンルに隙がありません。チェーン店だとから好しと富士そばとバーガーキングと牛繁あるの個人的には◎。ただ惜しむらくは丸亀製麺だけは何故かないです。
機会があれば赤羽で飲みましょう。
突然なんですけどナスと豚肉って相性がマジで良いってことを残したくてブログを再開しました。
読んでる人いたらこれだけは覚えて帰ってほしい。
ナスと豚肉一緒に焼くと、油とか甘みとかナスが吸って美味くなるわけですね。
この組み合わせで焼いて調味料を変えるだけでいくらでも楽しめる。
二つの調和。ハーモニー。コスモス。
調和という意味では、去年惜しくも亡くなってしまったウィルコジョンソンがThe Whoのロジャーダルトリーと出したアルバムがいいんでぜひ聴いてください。
冥福を。
基本野菜は草なので興味ないんですけど、ナスは野菜界の肉なので好きです。
いいレシピあったら教えてください。