ふと、エッセイを書こうと思った。
とある出来事を受けて、自分なりに何かしら言葉にしておきたかったという気持ちがあった。
というか、これはエッセイでいいのだろうか?
音楽のジャンルと同じく、文章のジャンルというのもまた難しい。
これまでの自分の人生で、大きな転機を挙げるとするならば、おそらく三つほどになると思う。
小さな転機は日々訪れ、気づかぬうち去っていくものである。
全ては瞬間なのだ。瞬間のゴールド。
さて、大きな転機の一つは、高校から大学の2年生頃まで続けたバンド活動の、その終わりになるだろう。
高校で入った軽音部、正式にいうとポピュラーソング部なのだが、の延長で、いつしか自然と自分たちの音楽をやりたいとなった。
あの頃、将来をどう考えているかと聞かれたら、バンドで食べていける人になりたいと答えただろう。
バンドで食べていくにはみたいな本も買っていたものだ。イメトレは万全。
その本はおそらくつくばから引っ越すときに売ってしまい、手元には残っていないが、その本を持っていたことはよく覚えている。
無くしたものばかり思い出してしまうね。
友人と何かに打ち込むというのが楽しかったのか、音楽が好きだったのか、歌うことが好きだったのか、目立ちたかったのか、ライブが楽しかったのか、バンドを続けていた理由の正確なところは自分でも正直分からないが、あの頃のエピソードは苦労なく、今でもまだ思い出せるものだ。
ライブに出るために授業を早抜けしたら出席扱いされていなかったことが多々あった。
ライブ終わりには朝までやってる新宿の焼肉屋によくいった。
この先のバンドの話をして、好きなバンドや好みの歌詞の話をして、良い音楽ってなんだという話もした。
スタジオの深夜パック、お決まりの時間にお決まりの場所。
良い空気も、悪い空気も味わった。
あの時の時間の残骸はまだ残っているのだろうか。
そんな折、自分はバンドを抜けた。
この際、特筆すべきドラマがあったというわけでも、何か劇的なことが起きたわけでもない。
それはただ単に、自分がバンドを抜けたというだけの話である。
自分がバンドを抜けた後も、メンバー達は活動を続けていた。
その事実は、どことなく自分の励みになっているところがあったものだ。
勿論、今もそうであるが。
抜けた後、しばらくは気まずさもあり、彼らのライブを見にいくことや連絡を取ることもなかったのだが、気づけば連絡を取るようになり、彼らのライブを見にいくようになった。
私はもうメンバーではなかったが、私はまた親友に戻っていた。
メンバーのうちの1人の結婚式の友人代表スピーチもした。
ちなみに余談ではあるが、私が結婚式で経験してない役割としては、あと新郎だけになる。
と、そんな瑣末なことはさておき、どうやら自分が一緒にバンドをやっていたメンバーも、少しずつ数を減らし、残すはあと1人となるようだ。
これもまた、言ってしまえば、ただ単に彼が一人残ったということであり、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。
私はそれを彼の口から聞いたが、実のところ、悲しいとも寂しいとも思わなかった。
「そうか」と思ったのだ。
なぜならば、一人になっても、彼はバンドを続けていくことが分かっていたし、私はそれを親友として見ているのだろうと思ったから。
それに、私が彼らとバンドとして過ごした時間は、確かに過去にあって、その先に私の今があることは間違いないと思っているから。
私ももう、過去には生きておらず、彼もそうである。彼は特に、過去から離れていく速度が早い人だ。
そう、エッセイとは言ったが、正直、これはバンドを続ける彼へと向けた手紙であり、私なりのエールである。
まぁ私がエールを送らなくても、彼が前に進むのは分かってはいるが。
手紙やエールは届かなくても書いていいものである。
私は多分、大きなクジラが現れて、全てを飲みこみ、世界が終わる夜には、灰の歌を歌うと思う。
彼は、どんな歌を歌うのか。
少なくとも、まだまだ世界は終わらないように見える。
だから、またいつかそこで会いたいと思う。
心臓が青く燃える温度で。